
▲ 紀州木の家協同組合 榎本淳一

▲ 榎本淳一

▲ (左)榎本淳一(右)仁坂吉伸県知事

▲ 和歌山県の仁坂吉伸県知事

▲ モデルハウス前にて (左)仁坂県知事(右)榎本淳一
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紀州材の良さを体感できる家づくりを提案する紀州木の家協同組合代表理事榎本淳一さん
(平成19年3月23日 和歌山マリーナシティ内 紀州木の家協同組合モデルハウス)
知事:紀州和歌山県は木の国・林業の国だったと思うんです。 私が幼少の頃は和歌山は林業がとても盛んで、例えば田辺とか新宮とかは林業で活力を与えられていたと思います。それから、林業で大変な資産家がいて、その人達が、例えば奨学金を出したり、文化を支えたりと、そういったところがたくさんあったと思うんです。 ところが、だんだんと経済状態が変わってきて、安い外材がいっぱい入ってくるし、諸外国で木を伐りまくったわけですね。 また、生活パターンもちょっと変わって、古き良き和材の需要というのが特に住宅でもちょっと減ったかなという感じもありますね。プラスティックを使ったり金属を使ったり、あるいは集成材を使ったり。 それから生活が洋風になって、必ずしも立派な床材や柱材がなくてもよいという家も出てきた。最近よくよく見てみると、かなり林業が不振で、これはなんとかせにゃいかんという気持ちがあります。 一方、私はブルネイにいた時期があるんですけれど、ボルネオ島というのは日本が出かけて行って木を伐りまくった所で、今行くとはげ山に近い状態になっている。しかも植林もしていない様なところがたくさんあって、もうあんまり無尽蔵に木は出てこないという気もします。それから最近ではロシアが輸出規制を始めているし中国の需要もこれから伸びるからだんだんと価格構造も変わっていくのかなと思っています。 和歌山は、この50年の間に山はすっかり緑を取り戻した様な気がするんですよ。外見上を見るとね。だけど中に入ると間伐が進んでなくて、木がやせ細っているとか、あまりにも杉や桧林ばかりになっているとか、いろんな問題があるやに聞きますね。そういう意味で、KINOという紀州木の家協同組合、異業種を結合された組合、その代表の榎本さんにぜひその思いの丈を語ってもらいたいと思って今日はお邪魔しました。 榎本さんの御生家、山長商店は、ずっと昔から有力な林業家でおられたとお伺いしていますが、かつての林業、紀州和歌山の雰囲気はどんなだったですかね。
榎本さん:私は昭和31年生まれなんですが、そのころは知事さんのお話の中でいうと戦後のちょうど拡大造林、山の木をたくさん伐っていたまっただ中で、昭和25年から35年ぐらいの10年間、和歌山県下においても山からの生産量がピークを迎えている時期で、今では考えられないくらい大量に山の木を伐っていたと聞いています。 ただ、私は生まれたてですので、その実体験はないわけです。調べて見ますと、その頃、伐った分植えなければいけないということで、元の植生ではなくて杉と桧をどんどん植えた。樫とか椎という紀州の植生であった所も、伐り開いてでも杉と桧を植えて拡大造林という政策が行われた。そういう事があって、非常に短期間の内に膨大な量の植林山が出来上がった。 全国的にこの様な傾向おいてもご多分に漏れず同じような状況にありました。今、その当時植えられた木がいっせいに50年生になっています。一時期に山の資源を伐って使って、一時期に大量に植えた。これだけ山の樹齢が固まった形で存在しているという非常に希なケースを今迎えています。 このことが今の林業の現状、今の日本の住宅のあり方に大きな影響を与えているのかなと思っています。
和歌山県情報館 < ようこそ知事室へ 名人対談 > より一部転載
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